学校法人 南山学園 南山高等学校・中学校女子部Nanzan Girls’ Junior & Senior High School

News & Topics

朝のこころ(2021年5月31日)

2021.06.07

5月31日、赤尾神父様による「朝のこころ」です。

2021年5月31日 朝のこころ「手と手がつながるために」

私の知り合いのおばあさんの話です。彼女は年齢が80代後半になってもアメリカで一人暮らしをして、自分で車も運転し、畑仕事もする、おばあさんというにはまだまだ元気な人でした。それで時々日本にも一時帰国していたのですが、あるとき、名古屋駅で大きな荷物を抱えて移動していたそうです。年齢の割に元気だとは言っても年が年ですし、足腰も弱くなっているので、地下から階段をのぼろうとして、重い荷物を持ってさあどうしようか、と困っていました。すると、ある一人の60代くらいのおじさんが声を掛けてきて、その荷物を階段の上まで運んでくれました。それで彼女は、こんな親切な人もいるんだなあと嬉しくなってお礼を言うと、そのおじさんは答えました。「いいえ、こちらこそありがとうございます」

どうして逆にお礼を言われるのか、とおばあさんがいぶかしく思っていると、そのおじさんは続けて言いました。「私は今まで、同じように何人もの人に『荷物をお持ちしましょうか?』と声を掛け続けてきました。けれどもほとんどの場合、『いや結構です』とすぐに断られるし、あからさまに不審な人を見るようにして避けていく人もいるし、そのまま盗もうとしているんじゃないかと警戒されたり、一度も申し出を受けてもらうことがありませんでした。ですから、今日は初めてこうやってお手伝いさせてもらえて、しかも喜んでもらえてうれしいです。だからこちらこそありがとうございます」

確かに世の中にはいろんな人がいて、優しいふりをして近寄ってものを盗むということも実際に起こるので、親切な申し出でも断るのは自衛のために仕方ないかもしれません。けれども、このおじさんが断られ続けながらも決して嫌な気持ちになったりせずに、誰かの助けになればとずっと声をかけることをやめなかったのは率直にすばらしいと思いますし、その善意を素直に受け取ってもらい、信頼して荷物を持たせてもらえたときには、本当に嬉しかったのだろうと想像がつきます。

私たちが何かを与えるというとき、そこには受け取ってくれる人が必ず存在します。善意の「作用反作用の法則」です。どんなに素晴らしい善い行いでも、受け取ってもらえなければ私たちの気持ちは形を取ることができません。電車の中でお年寄りに席を譲ろうとしても、「私は席を譲られるほどもうろくしてない!」と怒られてしまうと、せっかくの善意も親切にはなり得ません。とんだ赤っ恥です。そういう意味で「与える」ということは、一方通行の独善的なことではなくて、実は差し出す側と受け取る側との間の、双方向のつながりなのだと気づかされます。私たちはどちらの立場にも立つことがあります。その時、どんな気持ちで手を差し出し、どんな気持ちで差し出された手を受け取っているでしょうか。相手の手を意識したやりとりを心がけましょう。

12_陬剰。ィ邏兔_DSC1783.JPG