学校法人 南山学園 南山高等学校・中学校女子部Nanzan Girls’ Junior & Senior High School

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朝のこころ(2020年11月10日)

2020.11.15

11月10日、赤尾神父様による「朝のこころ」です。

2020年11月10日 朝のこころ「『あなた』と『世界』をつなぐ言葉」

私には小学一年生の甥がいますが、彼は自分の母親を「おかあちゃん」と呼びます。父親のことは「パパ」と呼びますし、母親のことも3、4歳までは「ママ」と呼んでいましたが、いつの間にか母親だけは「おかあちゃん」と呼ぶようになっていました。「ママ」でもなく「お母さん」でもない、「おかあちゃん」という呼び方はかわいらしくもありますが、この子にとっての、他の誰でもない母親との特別な関係を表しているようで、聞いていて微笑ましく感じられます。このように、「呼び方」は人と人との関係性を形づくるものです。

19世紀から20世紀初めにかけて活躍したスイス人言語学者のソシュールは、それまでの伝統的な言語観に大きな変化をもたらしました。伝統的には、言葉はあるものを指し示すためにつくられた記号と考えられていました。つまり、ものごとの概念がまず存在し、それに対応する言葉が後からつくられた、という考えです。これに対してソシュールは、逆に言葉が存在して初めてものの概念が存在する、と考えました。

例えば、日本語では同じ種類の魚を大きさによって区別し、イナダ、ワラサ、ブリなどと異なる呼び方をしますが、英語だとどんな成長段階にあってもyellowtailという同じ呼び方を用いて同じ魚として認識します。また、同じ虹を目にしても、日本人は7つの色のグラデーションとして捉えますし、アメリカ人は6色、校長先生の出身であるインドネシアのフローレスでは3色、南アジアのバイガ族は2色のものとして見ていると言われます。このように同じ現実を見ていても、異なる言語を持っていると、異なる仕方で世界の構造を分類し、異なる仕方で世界を見て、その世界全体から異なる仕方でものごとを切り取って表現している、ということです。その切り取り方が文化や言語によって違うので、同じようなものや事柄を表す言葉であっても、ニュアンスやその言葉が指し示す意味の範囲は少しずつ異なってきます。

出来事であれ、ものごとであれ、人との関係性であれ、それを表す言葉の切り取り方によって、見える景色が違ってきます。悲しい言葉だけで毎日を切り取り続ければ、悲しい人生になってしまいますし、前向きで肯定的な言葉を使おうと心がければ、それによって切り取られた世界は、輝きを増し続けます。私たちの世界をつくりあげるのは、私たち自身の言葉です。

あなたはどんな言葉で世界を切り取りますか。どんな言葉を用いて毎日を描きますか。どうぞ自分の口から出る言葉を大切にしてください。