学校法人 南山学園 南山高等学校・中学校女子部Nanzan Girls’ Junior & Senior High School

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朝のこころ(2020年6月15日)

2020.06.17News

今週は、今年度から赴任された赤尾神父様による「朝のこころ」です。

2020年6月15日 朝のこころ 「喜びを分かち合うこと」

何年もカトリックの神父をしていると、いわゆる街の教会で働いていなくても、赤ん坊の洗礼から亡くなったお年寄りの葬儀まで、時々司祭らしい務めを果たすことがあります。結婚式もその一つで、私も自分のきょうだいの結婚式を三回ほど司式することがありました。

カトリックの結婚式では、新郎新婦が次のような言葉で誓い、誓約をします。「喜び、悲しみ、苦しみを共にし、夫として(妻として)生涯、あなたを愛し敬うことを誓います」、もしくは、「私たちは夫婦として、順境にあっても逆境にあっても、病気の時も健康の時も生涯、互いに愛と忠実を尽くすことを誓います」。

結婚式の中では司祭が新郎新婦にお話をしますが、私は自分の身内相手だということで、心配もあり、この誓いの言葉について、「喜び」とか「順境」とか「健康のとき」ということはさておき、いざという大変なときである、「逆境にあるときや病気のとき」にこそ、「悲しみや苦しみを共に」してほしい、と、どうしても強調しがちになっていました。

しかし、自分自身の経験を振り返ると、順序が逆ではないか、まず一緒に喜ばないと一緒に苦労することもできない、と感じます。私自身はもちろん結婚していませんが、修道院で血もつながっていない、国籍も文化も習慣も年齢も異なっている何十人もの人たちと何十年も共同生活をしてきて感じるのは、一緒に苦しいこと、つらいこと、いやなことを協力して乗り越えていくためには、それと同じだけか、それ以上に一緒に楽しいこと、うれしいこと、喜びを分かち合う必要がある、ということです。同じところに住んで、同じものを食べて、同じ理想を掲げて、一緒に活動していても、共に喜べないなら、共に苦労することもできません。

私たちの学校生活も同じです。毎日一緒に楽しい時間を過ごし、共に笑い、喜びを分かち合って、よい関係を築けていればこそ、つらいことがたまに起こった時にも、「よし、じゃあ、今回は一緒に頑張ろうか」と言って共に苦労を分かち合い、乗り越えようという気持ちが、力が生まれます。

緊急事態宣言が解除され、分散登校も終わり、通常の学校生活が再開しましたが、まだまだいろいろなことを我慢しなければならず、苦労することがあります。そうした中でも、ぜひ、みんなと一緒に楽しめることを探して見つけましょう。毎日の日常の小さな喜びでも、共に分かち合うことを大切にしましょう。

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