学校法人 南山学園 南山高等・中学校女子部Nanzan Girls’ Junior & Senior High School

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南山学園創立記念式典 記念講演「女子部校舎建築について」

2021.11.15News

11/1南山学園創立記念日に先立って行われました記念講演「女子部校舎建築について」(野呂純二名誉教諭)のお話をまとめましたので、以下ご覧ください。女子部の校舎建築の経緯や目指すものをお分かりいただけると思います。

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女子部が創立されて今年で73年に、この校舎も、もう立て替えて15年以上たちました.植えかえた桜が、やっと高校生の年頃になりました。私は、この校舎で10年、前の校舎で30年、前の校舎を壊している間、西グランドに建てた狭いプレハブ校舎で16ヶ月を過ごしました。ですから私にとって、ここはいまだに新校舎なんです。誰も言いませんよね。言う人がいたらジイサンバアサンだけです。

 ところで、この校舎には個人の名前がついた大きな部屋が2つありますね。ご存知のようにライネルスホールとペトロホール。この2つだけに個人の名前をつけました。なぜここだけにお2人の名前をつけたのか。この話から始めましょう。

 皆よく知っている学園創立者、初代校長、いろんな言葉を残してくださいましたが、次の3つは忘れないでくださいね。

①「心の自由な人でありなさい。」②「賢い人より善い人になりなさい。」③「校則はたった一言でよい。紳士たれ。これで十分だ。」戦前は男子だけでしたからね。残念ながらライネルス師は昭和20年の敗戦直後に亡くなられ、夢であった昭和23年の女子部創立に立ち会えませんでした。もしその時生きておられたら、「女子部の校則は、淑女たれ、この一言でいい。」と必ずおっしゃったことでしょう。ところで女子部には創立者の写真や肖像画がありません。もちろん私もお会いしたことがありません。なんと言ったらよいか、森のクマさんのイメージ。見た目はどっしりしていますけれど、優しそうな方だったようです。

 ライネルス師は、昭和7年に男子中学を作りましたが、実はほぼ同じ時期に、女子部のための土地を買ってありました。今の女子部よりもっともっと広い土地、今の名古屋大学の北側です。残念ながら戦争が激しくなったのと資金難とで泣く泣く手放さなければならなくなりました。でも創立者ライネルス師のリベラルな創立の理念は、今も間違いなく女子部に生きています。例えば、1970年代にいろんな校則が随分自由化しました。皆も女子の学校の割には校則が少ないと思ったでしょう。

 ペトロという名は、初めて教会を建てた人として知っているでしょうか。ペトロ西神父、校舎を建てたときに副校長として、女子部の責任者だった方。その後まもなく15代校長になられました。今のダシオン校長は16代校長です。時々、「おれは15代だから、早く大政奉還しないといかんなあ」と今一つ意味不明のことをよく語っていました。そしてまもなく、西の方へ去って行かれました。今は、長崎南山の校長です。初代校長は森のくまさん、15代は、例えようがないですね、絶滅危惧種としか... 歩き方はペンギンでしたよね。

 ところで、私たちの建学の精神、みなさん知っていますよね。校舎の入り口の壁に「HOMINIS DIGNITATI」とラテン語で書いてあります。日本語でいうと人間の尊厳のために。少しかたくてわかりにくい。時々建学のケンを、見るという字を書く人がいました。そうするとますますわけわからなくなる。間違えないで、建築の建を書いてくださいね。その建学の精神をペトロ西神父はわかりやすく言い換えてくださいました。「あなたが素晴らしいのはあなたがあなただから。それ以外の理由は全て付け足しに過ぎない。」この世でたった一人のあなたの素晴らしさには、なんの理由もいらないんだよ、「人間の尊厳」とはこのことを言うのです。

 皆さんはね、今の校舎を建てられ、南山の建学の精神をわかりやすく言い換えてくださった方の名前を、創立者の名前とともに忘れないでください。それで、2つのホールにお二人の名前をつけました。またそれは、建学の精神と創立の理念を皆さんが忘れないようにしてほしい、という私たちの願いでもあります。

 この建学の精神と創立の理念をどんな風に校舎に生かしていったらいいのか。これがこの校舎を作るときの大きな課題でした。それと、杁中の町との横のつながり。前の校舎は杁中の丘にそびえ立っていました。そして6ヶ年の縦のつながり、完全6ヶ年一貫教育を愛知で最初から実施したのは女子部だけです。これをなんとか生かしていきたい。

 校舎というのは、落ち着いた、居心地のいい居場所でなければなりません。居心地のいい居場所とは、コミュニケーションを大事にするとともに、たった一人で居られる場所のことです。ですから校舎建築は、ものづくりでなく、人づくりなんです。

そこでまず4つのことを考えました。

(1)基本の考え方は、ハモニカ型ではなく対話型の校舎です。ハモニカはもう皆が吹いているのを見たことがありませんね。口で吹く楽器です。ハモニカ型は、片廊下一文字型、つまり、教室の外に出ると廊下だけ、ほとんどの学校がそうです。これではなく、対話型は、暗くなりがちなのでガラスを沢山使って、自然の光が入るようにしてあります。

(2)全体の形としては、広場を中心にしました。前の校舎は職員室が中心でした。そして、バカデカイ入り口、こんな学校は他にありません。杁中の街に対しても閉鎖的にならないように、他の学年の生活も垣間見えるように、入り口を大きくしました。

(3)学年配置に工夫しました。中1と高3を職員室に近い2階に、中3高1を開放感のある4階に。学年が上がると少しずつ窓の景色が変わって、そして高3になるとまるで違った景色が見えてくる、そんな学年配置にしました。床の色も、一番若い若草色が中1、少し濃くなって青に近い緑色は中2、濃いあずき色、今はもう襟章がないのでわかりませんが、これは南山中学校のシンボルカラーです。高1は紺色、これは南山高校のシンボルカラーですね。高2は華やかなワインレッド色、そして高3は落ち着いたチョコレート色です。廊下も淡い色だと病院のような雰囲気になってしまうので、独自の焦げ茶色に。壁も白に見えますが実は、黄色を混ぜた淡い色です。ロッカーなどに、木も多用して、温かい雰囲気になっています。

(4)学年ごとに独自のスペースを作りました。中2と中3、高1と高2のテラスに2つの不思議な穴が空いています。とりあえずゴミでも入れたくなりますが、これは、隣り合う学年のコミュニケーションのためです。ためしにおーい! と叫んでみてください。

 校舎が完成してまもなく、神言会の神父様たちが、12枚の名画の複製を寄贈してくださいました。クレーの優しい天使の絵は保健室の前に。視野がぐんと広がる中2のスペースには、フェルメールの天文学者を。落ち着いて勉強してほしい高3のスペースにはピサロの穏やかな林の絵を飾っていただきました。更に、この校舎の設計を中心になってくださった方のお父様が亡くなった時、このお父様は著名な日本画家でしたが、その方が一番気に入ってみえた「コルトーナの丘」という大きな絵をエントランスに、もう一枚をコンピュータ教室の前に寄贈してくださいました。合計14枚の絵が、皆さんの成長を見守ってくれています。

 もう終わりにしますね。

 この校舎には、この今の校舎作りに携わった全ての方々の願いが込められています。もう少しあちこち傷んでいますけれども、そしてコロナのせいでこれまでなかなか思うようにコミュニケーションが取れなかったと思いますけれども、どうかこれからも、皆さんがありのままでいられる居場所として、大事にしてください。

 今日は、校舎について語ることができてよかったです。ありがとうございました。

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