学校法人 南山学園 南山高等・中学校女子部Nanzan Girls’ Junior & Senior High School

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朝のこころ(2021年7月5日)

2021.07.15News

7月5日、赤尾神父様による「朝のこころ」です。

2021年7月5日 朝のこころ「離れるためではなく、寄り添うために学ぶ」

テスト前に「全然勉強してない」と言って実はそれなりに勉強している、というのはよくある「学校あるある」だと思いますが、本当にしてなさそうな生徒もいるので、自分が担任のクラスでは「そんな正直者はあなたたちだけです。実はみんなしっかり勉強していますよ」と発破をかけています。そもそも全然勉強してないことは大きな声で誇ることではありません。でも一方で、勉強していないと言いながら良い点数を取ることが、もし自分の有能さをアピールするための手段であるとしたら、それも健康的ではないでしょう。

二十代の頃、教会で耳が聞こえない聴覚障害者と関わることがあり、少しだけですが手話を教えてもらっていたことがあります。そのつながりで、聴覚障害者の集まりに参加したことがありました。そこでは私が何かを積極的にする必要もなく、ただその場にいさせてもらっただけなのですが、勝手な疎外感を感じていました。多少手話を習ったといっても、語彙力はほとんどないし、自分の側から手話で表現する練習ばかりしてきたので、読み取りがまったくできない。そのミーティングで何が話題になっているのか、どんな話の流れなのか、全然わからずに置いてきぼりにされた気がして、不安な気持ちにさいなまれていました。

 しかしよく考えると、ほんの数時間だけ聴覚障害者の中に放り込まれた私の気持ちなどたいしたものではなく、聞こえる人が大多数である社会の日常では、聞こえない彼らの方がずっと不自由で、疎外感を感じて生きているのだと感じさせられました。それと同時に、耳が聞こえるか聞こえないか、目が見えるか見えないか、何かができるかできないかという強みや弱さが相対的なものでしかない、ということにも気づかされました。言葉の面ではわかりやすいですが、それ以外のことでも同じです。誰でも自分の得意分野の土俵では誇らしげに生き生きできますが、そうでない場所では目立たないように、見つからないようにおとなしくしがちです。

 自分はこれができる、あれができるといっても、それは何か他のことができないという裏返しです。一生懸命に努力して何かを学ぶ、身につけることは素晴らしいですが、その結果を人との比較でしか喜べないなら、非常に残念なことです。真の学びは、自己と他者との間に差をつけることではなく、他者との距離を縮め、他者をよりよく理解するためのものです。

 各教科はもちろんのこと、クラスでの活動や様々な行事、友人との関係の中で、たくさんのことを学んでいる皆さんは幸せです。

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