学校法人 南山学園 南山高等学校・中学校女子部Nanzan Girls’ Junior & Senior High School

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朝のこころ(2017年11月5日)

2017.11.06News

*2017年11月5日 朝のこころ「死者の月にあたって」

おはようございます!どうぞ挨拶して、ご着席ください。

先日、配布した今月のミサの案内でもお知らせしましたが、11月はカトリック教会の典礼において「死者の月」として過ごす習慣があります。

死ぬことについて、具体的にどのように取り扱うかは社会文化によって異なるかもしれませんが、生きている者が亡くなった人と関わり、その関わりの必要性に関しては、いかなる宗教・社会文化でも似ているような考え方があると思います。死ぬことによって、亡くなった人が物理的に目には見えませんが、生きている私達とは何らかの形で関わっているという考え方はどこの国の文化でもあると思います。

 キリスト教、特にカトリック教会においては、死者の月、死ぬこと、また亡くなった人との関わりに関していくつか大事なポイントを分かち合いたいと思います。

死者の月をもって、死者を思いながら、死ぬという出来事をどう立ち向かうか改めて振り返る機会となります。亡くなった人との別れは、誰にとっても悲しいこと、特に身近な人の死を前にして、その現実を目の当たりにするのはいつの世も同じです。しかしキリスト教では死が人生の終わりに思えたとしても、新たな人生の始まりであり、神の国への旅立ちとして信じている中で、人の死を素直に見つめ、悲しみの中にも安らぎを覚えるのです。それは、キリストの言葉に背景があります。「キリストは『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者はたとえ死んでも生きる(ヨハネ福音書11章25節)』と教えられました。別離の悲しみのうちにも、このキリストのことばに慰めと希望を見いだすのです。

 そして、キリスト教では、「死者の月」をもって、祈り・ミサを通して亡くなった人と交わり、関わっています。それは、死者のための祈り、永遠の幸福にあずかることができるように祈ると同時に、死者がわたしたちのために執り成しをしてくださることを望み、その交わり・関わりを意味します。また、「死者の月」は、今生きていることに感謝し、命の大切さを改めて深く考える機会として過ごすのです。

 ミッションスクールの一つの習慣として、この「死者の月」をもって、亡くなった人、特に身近な人の事を思いながら、今生きていることに感謝し、命の大切さを改めて深く考えるひと時として過ごしていただければと思います。

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