学校法人 南山学園 南山高等学校・中学校女子部Nanzan Girls’ Junior & Senior High School

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朝のこころ(2021年9月13日)

2021.09.27

9月13日、赤尾神父様による「朝のこころ」です。

2020年9月13日 朝のこころ「LORD,make me an instrument of Your peace.

ちょうど20年前の9月11日のことです。前の年に渡米した私は、その頃インディアナポリスという町の教会に住み込んでその仕事をしながら、平日は敷地内にある保育園を手伝っていました。

9月11日の朝もいつも通り保育園に出勤しましたが、普段とは様子が違っていました。別々に分かれるはずの年少と年長のクラスがホールに一緒にいて、先生たちはテレビに釘づけになっていました。みんなで遊べて楽しそうな子どもたちをよそに、大人たちの間には声もかけづらい緊張感がありました。

その時テレビに映っていたのは、超高層ビルがもくもくと煙を上げている場面でした。何が起こっているのか分かりませんでしたが、どうやら事故ではなく、テロらしい。ハイジャックされた2機の飛行機が、ニューヨークの世界貿易センタービルの北棟と南棟にそれぞれ突入したようで、そうこうしているうちに、首都ワシントンDCの郊外にある国防総省の建物に別の飛行機が墜落、またもう一機がペンシルバニア州に墜落。わずか2時間ほどの間に、4機の飛行機が次々と墜落する事態に、次はどこなのか、もしかしたら自分たちの頭上ではないのかと、私たちは気が気ではありませんでした。保育園の窓という窓、ドアというドアに鍵をかけ、全員がホールに集まって保護者が子どもたちを迎えに来るのを息を潜めて待っていました。まもなくアメリカ上空を飛んでいた航空機がすべて着陸したというニュースがありましたが、それは何の安全も保証するものではありませんでした。たとえハイジャックと飛行機の墜落の可能性がなくなっても、地上で何も起こらないというわけではありません。すべての子どもにお迎えが来て無事に帰宅するまで、生きた心地がしませんでした。いつ何が起こって命が奪われるかわからない、そんな戦争のまっただ中に置かれたような状態を、ほんのつかの間でしたが味わいました。これが、私が経験した20年前のアメリカ同時多発テロの一日でした。

けれども、それで平穏な暮らしが戻ってきたわけではありませんでした。私たちの日常生活は、その日からまったく変わってしまいました。公共の場では知らない人と居合わせることがストレスとなりました。一歩外に出れば、どこにテロリストがいるのか分からない、誰も信用できない、文字通り疑心暗鬼で辺りを見回しながら、ひとときも心を休ませることができなくなりました。バスや電車の中でも、乗り合わせた人たちはみな普通の人だと自分に言い聞かせながら、車内には常に緊張感が漂い、同時に人を信じられない自分自身に嫌気がさすようになりました。見るからに外国人である自分が怪しまれていないかどうか、ずっと人の目を気にするようになりました。

平和とは、単に戦争がない状態ではありません。平和とは、自分の言いたいことを堂々と言えること。電車の中で居眠りしても平気なこと。たとえ嫌いな人とでも、安心して隣り合わせに座っていられること。どこにいても、誰がいても、声をあげて心から笑えること。

どうか私たちの学校生活が平和なものでありますように。そして『南山生の祈り』にもあるように、私たち自身が「憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解を、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信頼を」もたらして、平和のために役立つ者となることができますように。