学校法人 南山学園 南山高等学校・中学校女子部Nanzan Girls’ Junior & Senior High School

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朝のこころ(2020年10月27日)

2020.10.29

10月28日、赤尾神父様による「朝のこころ」です。

2020年10月27日 朝のこころ「日ごとの『糧』となるもの」

先週の中学一年生の動物園実習に先立ち、中一の宗教でも聖書の中の動物を取り上げて授業をしました。その中で触れたのですが、今も厳格なユダヤ教の人たちが守っている旧約聖書の掟において、食べてよいとされている動物は、ひづめが分かれていて(つまり生物学的には偶蹄目で)反芻する動物です。山羊や羊、牛などが代表的ですが、これらの動物がモグモグしているさまは容易に思い浮かべられるでしょう。

反芻する動物はみな草食動物ですが、餌である草の固い繊維質を胃の中の微生物に分解してもらうため、何度も口で咀嚼しては発酵タンクである胃に送り、口に戻し咀嚼してすりつぶしてまた胃に送る、という作業を繰り返します。そして分解が進んだものから四つある胃の部屋の先へ先へと送られていきます。

このような食物の摂取方法を指す「反芻」という言葉は、比喩的に「一つのことを繰り返し考え、よく味わうこと」という意味でも用いられ、例えば「私は担任の先生に言われた言葉を何度も反芻した」などと表現します。私たちは食べ物を反芻することはありませんが、比喩的な意味での反芻はよく行っているでしょう。過去の気になっている出来事や言葉、理解できていないことなど、引っかかりがあることをくりかえし思い返して消化するのは、「考える動物」である人間の特性です。

しかし日常では、逆に、反芻する必要もないことの方が多いに違いありません。毎日の変わらない出来事、何気ない会話、感動するほどでもない本、こんなことが将来役に立つのかと思われるような勉強の内容は、やわらかい食べ物が抵抗もなく口から入ってやがて体外に排出されるように、静かに右の耳から入ってさわやかに左の耳から抜けていく、そんなふうに感じられるかもしれません。自分が努力してインプットしたこと、一生懸命かみ砕いて飲み込んだことが、見える形ですぐに結果を出すことは少ないかもしれません。けれども、昨晩の夕食に何を食べたか覚えていなくても、その食事が確実に私たちの体の一部となり、活動するエネルギーとなっているのと同じように、記憶の表面には残っていない経験や学びも、必ず私たち自身を形づくる糧となり、生きていくための力となっています。

毎日の大きなことも小さなことも、心に残ることも残らないことも、すぐに結果が出ることも出ないことも、すべて自分自身を形づくり成長させるものとして大切にしたいと思います。

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