学校法人 南山学園 南山高等学校・中学校女子部Nanzan Girls’ Junior & Senior High School

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朝のこころ(2020年7月21日)

2020.07.21News

7月21日、赤尾神父様による朝のこころです。

2020年7月21日 朝のこころ 「見えないものを見る」

職員室の私の席は一番窓側にあります。自分の席に座ったまま、南山教会の鐘楼に吊られている鐘やその上の十字架もよく見えますし、特に青空が広がっている日は気持ちよく過ごすことができますが、ひさしがない窓なのでお昼頃からはとても暑くなります。また時には、窓をテニスボールが直撃してびっくりすることもあります。休校開け直後には、楽しそうに「花いちもんめ」をして遊ぶ大きな子どもたちの姿も微笑ましく見せてもらいました。

さて、この窓からは、皆さんが体育の授業のために行き来するのもよく見えます。テニスコートを通り抜けるために、張られたネットを一人ずつ引き上げ、くぐって通っていきますが、その様子を見てうれしくなることがあります。多くの場合、ずっと前を向いたままで自分が通り抜けたら後ろのことは気にせずすぐに手を離し、ネットを下ろして歩いていきますが、人によっては一度振り返ってすぐ後ろにクラスメートがいるのを確認し、うしろの人が引き上げたネットに手を添えるまで持ち続けて待ってあげている、という光景を時折目にします。またあるときには、クラス全員が通り抜けるまで二人の生徒がネットを左右に引っ張り上げたままでいるのも目にしました。素晴らしい気遣いだと思います。

私たちは、見えていないものには気を遣わない、気にしない、という傾向があります。そもそも見えていないのだから気づかないのは当たり前と言えば当たり前のことです。けれども同時に、見えないところにまで、目が届かないところにまで気を配り、気を遣うことができるというのも人間の特性です。視界には入っていない、見えないはずの自分の後ろに誰かがいるかもしれないと想像し、「ネットが目の前でバサッと垂れてきたら嫌な思いをするかな」とか、「押さえてあげていた方が後ろの子も楽でいいかな」と他者の気持ちまで気遣うことができるのは、人間らしい優しさの力です。

人の心は見えませんが、しかし確かにそこにあります。たとえ見えなくても、心は暖かくなったり、震えたり、傷ついたり、いやされたりします。見えないものに心を向け、見えない人の心に寄り添う人間らしさを大切にしたいと思います。