朝のこころ(2017年11月20日)
2017.11.20News
11月も下旬に入り、寒さも厳しくなってきました。
女子部でも待降節を控えて、校舎内の飾りつけも行われています。
*2017年11月20日 朝のこころ「何のために生きるのか」
おはようございます!どうぞ挨拶して、ご着席ください。
19世紀のアメリカの女流詩人、エミリー・デキィンソンさん(Emily Elizabeth Dickinson、1830年12月10日 - 1886年5月15日)を皆さんも、ご存じでしょう。彼女が残した膨大な数の作品は世界中で高い評価を受けており、19世紀世界文学史上の天才詩人という名声は今や不動のものとなっているようです。彼女の詩集の中にある一つの詩・poemを紹介させていただきます。
If I can stop one heart from breaking,
I shall not live in vain;
If I can ease one life the aching,
Or cool one pain,
Or help one fainting robin
Unto his nest again,
I shall not live in vain.
「もし私が一人の心の傷を癒すことができるなら
私の人生は無駄ではない
もし私が一人の生命の苦しみをやわらげ
苦痛をさますことができるなら
弱った一羽のコマドリを
もう一度巣に戻してあげられるなら
私の人生は無駄ではない。」
エミリさんのこの詩の影響を受けて、芥川賞を受賞したことのある、兵庫県生まれの作家、宮本輝さんはある冊子のコラムでこう書きました。「人は何のために人間として生まれ、何のために生きるのか、などというのは、答えのない青臭い問いのように扱われているのが今の時代であろう。...生きるに値する行為とは何か。持って死ねるものとは何か。一人で苦しんでいる人たちがたくさんいる。私のひとことで蘇るかもしれない。道に迷って正気を失った者が倒れている。私の差し伸べた手で立ち上がられるかもしれない。それだけが、私が人間として生きた証となるだろう。幸せなことだと思う(JAF冊子 11月)。」宮本さんはそう書きました。
エミリさんの詩も、宮本さんが書いたことも、皆さんはどう思っているでしょうか。いろいろな考えはあるかと思いますが、自分の生きている意味が分からなくなるとき、多くの人は自分の中に引きこもってしまいがちですが、そんなときに、外の世界に引っ張り出してくれるような言葉ではないかと思います。やはり、人はひとりでは生きていけない。誰かの何かの慰めになったり、役に立ったりすることで人生の意味を見出すのです。一人の人のために、ほんのささやかなことかもしれません。もしかすると見過ごしてしまうかもしれないような小さな出来事、それでも、その人にとっては命に関わることだってあるのです。それに関わることができるなら、「私の人生は無駄ではない」ということでしょう。
何のために生きるのか。何のために学校に通い大変な勉強をするのか。自分の生きている意味が分からなくなるとき、このエミリさんの詩を思い出していただければ、幸いです。